民事・刑事事業部長 弁護士 佐久間 明彦(東京弁護士会)
私は、これまで否認事件で最高裁まで戦ったこともあり、様々な刑事事件を経験しています。そういった経験も生かしつつ、また、常に、目の前の事件について、初心を忘れることなく、全力で弁護する所存ですので、どうか、お困りの際は連絡してみてください。

刑事事件が民事事件と異なる最も大きなところは、刑事事件の依頼者が国家から、つまり世間から一方的に非難される立場に置かれている点です。
民事事件は、お金の貸し借りも、解雇の当否も、交通事故の過失割合も、当事者双方にそれぞれ言い分があり、究極的には、利益の調整という作業を色んな形で行うものです。
どちらかに非難される部分が多かったとしても、世の中のみんなから責められる類のものではありません。
それゆえ、弁護士が介入せず、本人のやり方がまずくて完敗の結果に終わっても、詰まるところ、お金を損してしまったというにすぎず、後から頑張れば取り返しが付くやもしれません。
そうでない場合もあるでしょうが、刑事事件の被疑者が民事当事者と異質なのは、世間一般からの非難を向けられてしまうということなのです。
すなわち、被疑者は、誰もがしてはならないと定められた行為をしたことにより、あるいは、したと疑われたことにより、警察官や検事から散々責められ、あげく、裁判所から、「あなたは犯罪者で、それを償うのにこれだけの罰を受けなさい」と告げられるわけです。
こんなに心細く、みじめなことはありません。
では、刑事事件の犯人とされる人は、みんなが守るべき刑法という法を犯した以上、ただ被害者や捜査機関からの非難をそのまま受け入れて、うなだれるしかないのでしょうか。
もちろん、そうではありません。警察官も検事も裁判官も人間ですから、間違いもするし、行き過ぎた批判を向けてくることも起こりえます。
警察の取調べで長時間しぼられたり、周囲から白い眼で見られ、打ちひしがれて、とても反撃する力など残っていない人に対し、誰も助けてくれなかったら、行き過ぎた批判や処分が通ってしまうことにもなりかねません。
被害者は、犯人が捕まると、往々にして感情をどんどんエスカレートさせ、居丈高になっていく傾向を否定できません。
捜査機関は、基本的に被害者の味方です。特に、法を犯したということで落ち込んでしまっている被疑者には、被害感情に乗っかった捜査機関からの非難攻撃を押し返す力は残っていないことが多いでしょう。
それを精神的に疲弊した被疑者に代わって、あらゆる法的知識、経験を駆使し、最大限押し返す作業をするのが弁護士の務めなのです。
また、ときに、被疑者は、全く身に覚えのない疑いで、つまり、してもいない犯罪の嫌疑を掛けられて、理不尽極まりない扱いを受けている場合もあるでしょう。
いわゆる冤罪ですね。かような場合、何も悪いことをしていない以上、無実を唱え続ければよいので、自分で何とかできる、誤って疑ってきたやつらなど蹴散らして思い知らせてやると、そんな風に気丈でいられる人は稀です。
私は、かつて不思議な夢を見たことがあります。それは、自分が犯罪者と間違われ、警察で取り調べを受けている夢でした。
初めは、様々、反論して、疑いを晴らそうとするのですが、やがて何を言っても、無実の主張を警察官が真面目に聞いていない態度が手に取るようにわかってしまいます。
すなわち、無罪に関する言い分は鼻から聞く気はなく、それが有罪のための証拠集めをする作業でしかないのです。
だから、その作業に役立つことしか耳に入らない。そんな態度に触れ、私が無力感に捉われていると、外に出たとき、親しくしていた友人から石を投げられ、顔面を直撃しました。
「見損なった。そんなことをして反省もせず白を切るなど最低だ」と言わんばかりに。その瞬間、私は、どうせ何を言っても認めてもらえないのだから、罪を認めてしまおうかなという思いが頭に浮かびました。
ここで目が覚めたのです。この数日後、司法試験に合格するのですが、当時の私は、犯してもいない罪を犯したと言ってしまうことなどあるのだろうかとの思いがどこかにありました。
しかし、この夢を見たとき、まさしく、無実の者の自白が存在することを実感し、そのような偏見のまま法曹になることを許さんという天の声を聞かされた気がしました。
それから私は、国家から不相当な扱いを受けたり、今にも受けそうな人たちを、一人でも多く、救い出さなければならないとの使命感を持って、刑事弁護にあたっています。
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